物造りをつづけて、       2003-10-6

                         藤本増夫

長い人生で初めて、1ヶ月以上ベットの上で生活した、大きな事故あって生死をさまよったみたいだ。私が、気が付いたのは、事故から何日も経ってから、

此所は何処、私は誰?という状況で、仕事のこと等は頭をよぎるまもなかった。

私の会社は小規模な別注家具屋で、いくつかの、ショップ デザイナーから仕事の依頼がある。私が、営業と見積り、施工指事をおこなっている。数年前から、高学歴の物造りを真剣にしたい、人材を、研修のつもりで、無給で仕事場にいれている、その中から、本当に、家具造りをしたいものになる人材を、

社員として、起用している、今回の事故のなか、仕事が大変だったと思うが、彼等は、私のこれまでの手法を思い出しながら、仕事を続けました、私が転院して、会社の近くに戻ると、毎日確認のため、やってきました、彼等が、たのもしくも、誇らしくも思えました。我が社は、創業100年近く、別注家具製作を主な仕事として、戦前は神戸 戦後は大阪で仕事をしてきました。

多くの弟子も育ちました、今私が、行なっている、徒弟制度のような試みははじめてです。家具造りを夢見てる人は沢山いるのは知っています、しかし現実の仕事がどのような物かは、会社に入らないと解りません、特に自然に育った樹を相手に、簡単な理論や言葉は通じません、その事を理解して、家具を造りたい人は、仲間になれるかもしれません。私は、そのような中で泥んこになっても歯を食いしばり頑張る、弟子を育てたいと思っています。

最近では、樹の名前 特徴 生育状況環境、物性など 木を使ってものを造るなら、最低限必要な知識もなく、町中の工房&ショップで 雰囲気だけで、手作りは温もりがあるといい、実質の製作は下請けの工場まかせ、という若者が家具製作者だと名乗っている現実が、私には許せない。私の父親が、もの造りも人造りも思うようにはいかないものと良く言っていました。親父が現役だったころは、戦後の荒廃の時期から、すこしづつ経済が上向きになり、高度成長までの時期でした。すこしでも、才能のある人は、もっと大きな成長企業にうつり、コツコツものを造っている世界には留まりませんでした。どのような仕事でも極めるぐらいの達人になると、他の仕事や、技術芸術等に、尊敬の念を抱き、軽くは考えなくなるようです。仕事相手の樹が絶対的に少ない現状で、ただむやみなデザインで浪費する片棒は担ぎたくないのが、私の心情です。今の木製品や家具が今後どのように使われつづけるか、朽ちていくのか、検証したいと考えています。

 

わたしの気持ち、今下記にあるような、物造りにうえた若者が

たくさんいます。彼等を教育する場所と主婦や高齢者が、物造りや

メンテナンスの、手ほどきを受ける場所がなさすぎる。

川沿いの遊休施設で、そのような活動をしたいものです。

 

2, ここ数年多くの若者が、わたしの会社を訪ねてくる。

家具の仕事をしたい。インテリアの関係の仕事

樹で物を造りたい。家具職人になりたい。

年齢巾も広く、職歴もいろいろ、新卒の人間から

大学在学中のものまで、最初にきたのが、卒業はできたけど

就職先なし、物造りがしたい若者でした、彼に、半年

わたしの、指事する、教育過程をこなしたら、半年後に

社員として働くとの約束で、わたしの徒弟制度復活行動が

動きだし、それから、毎年もう5〜6名に及ぶ弟子が生まれた

いまでも、メ−ルでアピ−ルしてくる、人や いろんなコンタクトが

あります。わたしはうんざりはしていませんが、本気で修行したい人は

最低 半年間の生活費を稼いでから、わたしに連絡してほしい。

 

このような活動を続けるには、現在の経営環境がわるすぎる。

このような教育を含めた、事業に対して、場所の確保費用軽減等の

支援措置があれば、成立する事業であり、周辺の活性化にもつながると

思われる。