天神玉子丸がゆく

大阪北港北港ヨットクラブ  Deeb Fujimoto

ダブルハンドがおわって、玉子丸の修理がほぼ終わったのが、2000年秋

そしてメルボルンで改装工事を行なって進水してから2年がったて、

もうレースには出えへんで、といっていた岡オーナーに、久々鳥羽パール

でまへんか?と持ちかけると、参加したい、との返事、早速 マコトに鳥羽

  までの回航とレース後の回航のプランを打ち合わせする。

 

 玉子丸のページ

2001-8-1

昼前あまりにも黒潮の影響が大きく、1〜2kt

との連絡 串本沖から、燃料残 60リットル

急遽串本へ入港し燃料補給1時には串本出港する。

PM11時大崎通過の連絡 潮岬をこしたら嘘のように

行きあしがよくなった、北港着 2日午前5時予定

シュウジ マコト後少し慎重に帰ってきてほしい。

 

 

 

2001-7-31

JST23,00 マコトから連絡あり伊東出航後風わるし

現在潮岬東20マイル 西の風20〜30ktエンジンから

海水もれ パッキンが原因か?直接北港を目指す予定

到着予定8月2日

 

 

 

2001-7-29

マコトとシュウジ 二人でただいま回航中。8月1日は

淡輪に到着の予定。

第42回鳥羽パールレース 天神玉子丸報告

天候に左右されたレースであった、直前迄デ−タ−がとれていたら

もっと、明確に台風の東進による風の変化は読めていたかも知れない。

ホ−ムペ−ジ上の鳥羽パールレース支援情報の予測図も当たりではなかった

しかし何といっても外洋に面した海域でのレースである、

台風は確実にそれるが最悪の状態に対して準備し、参加するのが

当たり前である。外洋に出て嵐に会うのは当然、ヨット乗りにとって

経験する事に意義あり、他に玉子丸にとってチェック箇所が

いくつもあったので、最高のテストセーリングと思って参加しました。

多くの参加希望者がいましたが、最終的に 

かまぼこシェフ 岡 松平でーす 塩飽水夫DEEB ダブルハンドマコト

 ポントスサンラック田渕 タクティシャンディンギー野崎 

 玉子のことならシュウジ マコトじゃなくてマグロのヨーコ 

ウインドミル氷結ビール森山秦現 なかよしにいちゃん安田 博英

 以上9名のメンバーで参加しました。

鳥羽回航後25日よりマコト・シュウジが現地入り、バナナボートで荷物を積込む、

食料買い出し、メニューもマコトにまかせる。26日朝 岡オーナー鳥羽着 

艇長会議等すます。多くのキャンセルの報告を聞く、こちらの情報では、

東に振り出したらまず、大丈夫、主催者が行なうならぜひ参加する予定でした。

私、森山、安田が午後11時半鳥羽に揃い、田渕君と一緒に

岡さんのまつ鳥羽エクシブにて宿泊、8時すぎに鳥羽グランドホテル集合、

9時過ぎ出港、スタート海面へ、あまり風は強くなく台風の東への進みの早さを感じた。

スム−ズにスタートして東風の昇り ある程度風がある時は、

それなりに先頭集団に付いていけたが やはり昇り性能が前回参加した時と大違い、

10〜15ktの風なら、もっと早く走れたはずが、やはり今回の改造の影響だ、

遅くなるのは覚悟していたが、昇りの多かった今回は、総ての面でマイナスだった。

駿河湾手前で波浪がきつくなりリーフ、そこでダブルハンドの悪夢、

ラットがトラブル、嵐の中 翌朝風が落ち掛かり、カーム 

まだ石廊崎にも近付かないのに風が無くなる、すこしの風と、

潮のながれに影響されながら、神子本島をすぎたのが28日午後5時そして

又風がなくなり28日中にゴールする予定が29日の夜明けで、

伊東手前十数マイル しかしほんのすこしだけどランニングの

風があった、初島がハッキリ見えだした29日午前8時頃から

すこしアビームになり最後はランニングでジェネカーをつかった走りが

今回初めてできました。やはりランニングでは早い走りが出来ました

が時きすでに遅く、タイムアウトで後残り1マイルでDNFという

結果におわりましたが、参加したクルーにとって大きな経験として

残っていくと思います。荒天帆走に関しては、各自がリーフ作業等

確実にミスなくこなせました、艤装の操作などなれたクルーと

初めてのクルーがスムースにこなした事も今回の成果だと思います。

できればもう一度同じメンバーで再挑戦したいものです。

関西からの多くの参加艇がキャンセルの報告を聞いてクルーが

動揺するかと思いましたが、天神玉子丸というオフショアレーサーにとっては、

一番似合うレースでした。微風ではダメですが、強風なら、

そこらのインショアレーサーよりがんばります。

風とビールが少なかったレースでした。

Deeb Fujimoto

 

 

 

 

 

 

2001-7-27

AM9,00出港 10,00のスタートにあわす、うねりはすこし

風もすこし台風に向かっていく風じゃない、

ひょっとすると途中で風がなくなるかも、そんな不安を

残しながら第42回鳥羽パールレースは、スタートを切った。

速報レースは無事おわりました、ファーストホームは

MAKI われらが天神玉子丸は、後1マイルのところで29日

AM10,00を迎えタイムアップ DNFで終わる永い48時間の

航海でした、レース内容はこれからじっくり報告します。

 

 

 

2001-7-26

アンちゃんチカに車で鳥羽まで送ってもらう、

PM8,00になかよし安田兄と北港で待ち合わせ

9,00前に森山さんをピックアップ一路鳥羽へ。

午後からの艇長会議にてレースは、実施と決まる。

台風の動きを把握した慎重な決断だと思う。

出艇申告の時点で多くの参加艇がキャンセル、情報不足か

最近のレーサーの弱点を知ってか、レースをキャンセル

帰路にむかう、結局関西から、MAKI ゆめひょーたん

天神玉子丸の3艇のみになる、玉子丸は、こんな条件で

でないと、船の意味がない、オフショアレ−サ−崩れです。

 

 

2001-7-24

昨日の心配事がだんだん大きくなる台風の北上

このまま行くとスタートからゴールまですべて

台風の影響下 うねりは3〜5メートル

風は30KT~45KTの状態、さてレース本部の判断が問題だ、

出るからには完走する。台風が遅ければ上りばっかり、

長時間のレースになるだろう、保安庁の判断???

 

 

2001-7-24

マコトと最後の詰めをする、鳥羽に運ぶセール備品

クルーの集合、宿泊 しかし台風6号が気になる???

 

 

2001-7-22

無事鳥羽に回航の知らせが入る、途中大王崎波切の港で

急用が出来たクルーが降りたハプニングがあっただけで

無事回航終了、

 

 

 

 

 

2001-7-21

マコトから無事順調とのしらせが入る、潮岬を通過

明日朝 鳥羽に入港の予定。

岡さんとDeebは、第2回セーラビリティーカップ

アクセスディンギーレースを汗だくになりながら開催する。

13艇のアクセスが揃い楽しいレースができました。

夜、神戸の花火に出かける。ああしんど

 

 

 

2001-7-20

大阪北港ヨットクラブの最大のイベント

天神祭奉納ヨットレースの日である、それと大阪港ボート天国が

重なって大変忙し一日になる。

体験乗艇・ヨットレース・テレビ取材・アフターパーティー

それから、天保山の花火大会まで盛り沢山な行事です。

玉子丸は、レース終了後 回航準備、花火の終了時

9時過ぎに北港を出発鳥羽へむかう。

花火見物帰りのピアグレースより、玉子丸の出港をみおくる。

 

 

2001-7-18

JSAF東海からレースの書類が届く、昨日まで

気を揉んでいたマコトに連絡19日手渡し20日回航、

20日回航出発前に集れる参加者のみミーティングの予定

後はこれからの天候のみ、20日天神祭りヨットレース

21日セーラビリティーCUP,

 

 

2001-7-15

朝9時に岡オーナーから電話、玉子丸 ケンチョピア出港

10時より 昨夜の酒の残る中 救命救急講習会 開催

此花消防の協力、参加者30名・・・

Coming and Try。参加者40名21日のレース参加者も練習

暑い暑いながい一日でした、夕方5時過ぎ岡さんを徳島に

置いてきた玉子丸帰着 マコト シュウ ヨーコ ノザキ

ごくろうさん、

26日朝に鳥羽に行けるクルー

マコト シュウ ヨーコ ノザキに田淵君が追加です。

わたしと森山 安田は、26日夜中に到着予定。

木部ちゃん 夜直行予定  平野不明 以上。

 

 

 

 

 

2001-7-14

AM 6:00 岡オーナーよりTEL

風なく機走 由良瀬戸通過 往生しまっせー

実は岡さんは、蒲鉾組合の徳島の関係者の

叙勲のパーティー出席のための徳島行きである

本日はビアパーティーを、メルボルンハウスにて

6時より開催 Coming and Tryもあり 忙しい一日である。

 

 

 

2001-7-13

夜9時ハーバーでひとり野崎君が徳島への回航準備のため

待機していた。その時3丁目の。ピアグレースでは。恒例の

週末御苦労さん宴会が始まろうとしていた。

11時すぎ玉子丸は岡オーナーはじめクルー総勢5名

徳島めざして、出港しました。週末御苦労さん宴会は、夜更けまで

つづくのであった。

 

2001-7-12

エントリーの締め切りが迫ったのに レ−ティング証書が届かず

あせっていましたが、昨日 KYのヨコチャンに連絡していましたら

本日朝FAXにて写しが送られてきました。送金をすませ、

FAXにてエントリーを済ませました。これで一安心、

本日は。マコトも 岡邸に置いてある、セールなど

積み込みの予定、週末は、徳島まで練習航海の予定、

私は、セーラビリイティーの練習会、21日のレースの

参加者のための練習会です。

 

 

2001-7-8

朝10時天満宮まえの大川で、ブーム・セールをセット

メインをあげ、大会旗をUP マロチャンを飾り付け天満宮へ

会長各理事が参加して安全祈願、今回の玉子丸の件もついでに

祈願よろしくおねがいします。

岡さんから新本くんの参加の意志を聞くこれでほぼクルーは決まり、

大川を下り、尻無川にて休憩 マストをたて北港へ、帰りは

ド−リー(中来田理事夫人)がヘルムスで尻無河口から港大橋を

くぐり、北港まで潮をかぶり、はしる、楽しかったけどずぶぬれ・・・

夕方玉子のチェック、バッテリーコードの内部が断線しているのを

はずし修理にまわす、本日も一日マコト ノザキシュウは、がんばって

いました、ごくろうさんです。

 

 

 

 

 

2001-7-7

天気の心配と違い好天気になる 昨夜26日の鳥羽までの

移動を、チカとアンチャンが送ってくれる事になる

安田・森山君と私おおいにたすかります。

午後3時溯上、北港から セールをあげてUSJをすぎ

中央市場まではしり、マストを倒し 天満橋まで

チカチャン ナオチャンと溯上 たけなわは、安田兄弟が

途中で、ゼスティサトーを拾い、溯上しました、6時に

大正にて焼肉パーティーをして、解散、明日は安全祈願際です。

 

 

 

2001-7-6

週末になるといつものようにハーバーへ、明日は溯上段取り

する事たくさんあり、燃料・整備・天気なんやかや・・・

そんな思いでいつものピアグレースのバースにて就寝

東風 天気がよくないかも

 

 

 

 

2001-7-5

土曜日は、恒例の天神祭ヨットレースの安全祈願のための

大川溯上です。今年も賑々しく行きたいもんだと思っています。

天神玉子丸の航海の無事を祈ってきます。

 

 

 

2001-7-4

古地さんが仕事の都合でいけなくなり、補充クルーに

ウインドミルの森山さん 和歌山の平野さんが

参加してくれます。

 

マコトからのメール

2000年秋には修理は終わっていないです。

まことははっきり言ってご立腹!

ダブルハンド終わってすぐに

0000に持って行って修理をするって行った時点でトーンダウン。

0000は前回マッチレースの時に修理に持って行って能無しだと

言っておいたのに持って行き 修理の納期むちゃくちゃ。

まことに八つ当たり、一ヶ月何も修理進まないまま北港へ。

まことすぐに坊主の修行。

二ヶ月何も進まなかったその間岡さん不機嫌のまま。

完全に無駄、お金を捨てたようなもの。

マスト抜かないとあの程度のトラブル修理できないとはやはり能無し。

おかげでまことの修理計画はおじゃん!

エンジン修理000は止めておいたほうがいいというが大丈夫と

言ってやらす、結果エンジンは生き返ったが変電気を

要らんところに付けようとして、エポキシ処理してある15mmの

構造バルクヘッドに穴を開けてしまい台無し、修理必要。

ここ一ヶ月はなるべく金曜日の夜から行って整備、土曜日、日曜日整備

必ずエンジンは回して、出航しギソウその他チェック兼

修・陽子・野崎さんの練習してがんばっているのだが、

ばかばかしくなってくる。何度やめようと思ったことか・・・そのたびに

野崎さんに見捨てんといたってなー、

陽子にまことあっての玉子やで、何も言わずに

手伝ってくれる修次に助けられ・・・

僕は玉子丸の専属クルーのつもりはありません。

クラブレース外で乗れるメンバーがそろった時には

すべてを優先し玉子に乗り、岡さんが玉子に

乗っている間はがんばって面倒みるつもりです。

僕はボロ船ながらも愛艇Dreamのオーナーです。

玉子は13日の晩に徳島に向けて出航予定

今回ビルジ事件でまた火がついてしまったようだ。

玉子はやっぱかわいいっすね。

 

 

2001-6-30

安ちゃんが、会社の都合で参加不可能になる。秋津さんにつづいて

いつもの酔っ払いが参加できなくなる、少し真面目なレースに

なりそうです。補欠候補のなかよし安田にいちゃん,ほか1名

ぼちぼち決めたいと思っております。

岡 松平オーナースキッパー以下

 藤本増夫 久松 誠 田淵 秀博 木部 寛清 古地 正二

野崎 ・ 陽子 ・ しゅうじ 

安田 博英

          

          

 

 

 

 

2001-6-23

朝から岡オーナーから電話 NHKのドラマの撮影協力・・

先日から聞いてはいましたが。いざとなると調整が・・・

午後からいきます。こんな時に限って風が強い時折12M

ハーバーへ駆け付けると、何とスタッフの多い事、打合せをしリハーサル

知らず知らず時間がすぎ、終わったら18時をかるくすぎていた。

 

 

 

 

 

2001-5〜6

玉子丸の専属クルーは、マコト、と野崎君しかいないもんで、それ以外は、

レ−スときけば、安東レ−ス委員長 歌が流れる秋津洲 私Deebが参加する。

ここ1年間でも淡々レ−スぶっちぎりや、スタートトップ帰着もトップの阿波

踊りレース等それなりに活動してまして、クラブレースは岡オーナーと初心者

軍団でたのしでいます。クラブレースで必死になって走るのに向いていない

玉子丸ですから、すこしテンッションをさげて、楽しみで走って頂く方が、

レ−スを運営する立場としたら楽です。特にクルージングメインでジェネカ−

ポ−ルを使わず走っているのは、楽しんでるなと感じさせられます。

クル−の技量にあったよい走らせ方だと思います。

ただ、イングリス37の本来の走りを、一度体験したものには、物足りなさは、

いつも感じます。てな思いも裏腹に、よっぱらいおじさんと、その仲間達が、

鳥羽パール目指して、動きだしました。

 

まずORC-CLUBレーティング取得、 外洋内海支部が4月一杯迄、低料金での

入会サービスしてましたが、通常料金、プリシーラ玉子丸から、天神玉子丸に

名称変更で初期登録と同じ料金、岡オーナー 一言 往生しまっせー。

ORC-CLUBレーティング取得は、船体のデーターがない?(オーストラリアに

登録艇は、ないのか? ORC-CLUBは、日本独自のルールですか?)

何とも釈然としない、メルボルン・ホバートやシドニー・ホバートには、船体計測

していない艇ばかりさんかしているのか?

 

3年前、ブリスベンまで玉子丸の回航を手伝った木部君に電話、なんとお母さんが

でられました、彼に連絡がとれ、また1本の電話で物語が始まろうとしている。

『大阪北港ヨットクラブの藤本です。・・・・・』

部品チェック 船体クリーニング、荷物下しは誠の仕事、そんな時なんと燃料もれ、

原因は、燃料系の配管の締め付け不足、これで予定が2日ずれる。

誠君 御苦労でした。