ヨットの小噺(その1)   (その2)へ

 ヨットの小噺                 masuo fujimoto

 私が、ヨットを始め出してからもう10年近い日々が過ぎていった、いろいろな体験をしながら昨年 夢であったオフショアセイリングをセール大阪(ホンコン〜沖縄)で経験できたことは、これまでヨットの世界で出会った、多くの人達とOHYCの仲間の協力そして私の家族の御陰だと思っています。このページでは私のこれまでの人生とセールボートとの関係を小話しにして綴ていきます。

              

  1. 船は生まれる前から乗っていた。瀬戸内の機帆船(木造スループ石船)母方の爺さん『文ちゃん』の船、昔 揚子江を遡上して軍の物資を運ぶため 上海まで、御用船に積み込んで行った船・・・満栄丸
  2. 大熊文吉は、咸臨丸でアメリカに大平洋を渡った、大熊実次郎(文吉の爺さんの岩吉の兄弟と言われている)の晩年のお世話を家族で勤める、その位牌は今も大熊文吉と同じ仏壇に列んでいる。

 

 

  1. なぜか 父の爺さん『増さん』も船乗り 瀬戸内の塩田に九州からごへだ(石炭)を運んでいた、そして私の爺さん『秀さん』と父『静夫』と私が洋家具造り(塩飽指物)家、船、家具、が造れる。

 

  1. 70年前の瀬戸内では、ほとんどの船が帆船で風待ち潮待ちの港で(小さな入り江)帆を休めていたという

 

  1. 始めて瀬戸内海をクルージングしたとき 瀬戸大橋をくぐり本島へ、文ちゃんや増さんのことを思い出す。母が文ちゃんと呉まで、姉さんの嫁入り荷物を、運んだ航海の話など、船頭は港に着いた時より航海中が楽しかったに違いない。なぜなら、その当時の船はまだ風と潮まかせ 風や潮を詠んで船を走らす。まるで今のセーリングそのものだとおもう。                          
  2. 子供にヨット 私が子供のころ休みになると本島にいた、(じゃまだから田舎に預けられた)だから海での遊びは、お手のものてんまも漕げます。遊び場が備讃瀬戸航路と水島航路の交差点 2ノットのてんまで15ノットの本船を横切って三つ子島へそこで魚や貝を取っていました。子供たちにこの楽しさを教えたくても今はできない、そこでジュニヤヨットスクールヘ子供を通わすこととなる。子供のころにもの覚えるのは大変早く、私よりすぐ上達しました。小3と小6の兄弟が大きなバックをかついで通う姿が今も目に浮かびます。3年前から本島に。シーマーチンコンビを置いています。本島に帰ると子供と一緒に瀬戸航路と水島航路の交差点のブイ回りをたのしんでます。

 

   4月17日 兵庫県城崎郡日高町にある 日高町文化体育館で行われた

    第2回植村直巳冒険賞受賞式に 米子さんと少なからず縁のあるOHYCから、

    玉子丸の岡さんとわたしが参加しました。

    ヨットとは、縁遠いはずの但馬で、日高町文化体育館前に、ヨットが

    米子さんのエミュー(サプライズー25)が展示していました。

    午後1時30分から植村直巳冒険賞受賞式式典そして、受賞記念講演が始まり

    多くの聴衆の前での米子さんは、緊張ぎみで話も少しでしたが、選考委員を

    交えての座談会では。米子さんらしいお話しをしてくれました。

    23才の時。北転船で操業中、不慮の事故で左腕を失った。その後、陸に上が

    り

    いろいろな仕事についたがうまくいかず。再び海への思いが一層強くなった。

    しかし『片腕のため、船舶免許の受験資格をみたさない』という理由で受験

    できなかった。そこで、片腕でも操船できることを実証しようとフランスへ

    行き、47才にしてわずか2ヵ月のトレーニングで日本に向けて出発した。

    片腕でもヨットができる外洋も大丈夫なことを証明した、米子さんの快挙が、

    今回の植村直巳冒険賞受賞で多くのハンディキャップをもった人達に夢を

    与えることになると思います。

    また多くの人達にヨットの安全性や面白さを知ってもらえる場になりました。

    米子さんは5〜10年後 こんどは、世界1周を目指しているそうです。

    このような式典を開いてくれた日高町、植村直巳記念財団、選考委員会そして

    この式に参加した日高町の人達に、ヨット大好き人間として感謝します。

 

  1.  7月16日からATCエイジレスセンターで エイジレス帆船祭がひらかれます。
  2.  この催しは 鹿島さんのコラーサ70を応援する企画としてはじまり、シルバー
  3.  エイジに海に関心をもって貰おうと企画しました。協力を舵の田久保編集長に
  4.  お願いしました。そして素晴しい写真と文章をいただきました。
  5.  

    おいしい海。

    人類は海からやってきました。

    世界一周ヨットレースに参加した男はこう言いました。

    「長く海の上にいたら、子宮の中にいるような気分になった」

    そう、海は母親のように優しく寛容で、すべてのものを受け入れてくれます。

    コンクリートジャングルでくたくたになった身体と

    ささくれ立った心を、やすらかに癒してくれます。

    それを最も体感させてくれる乗り物がヨットだと言われています。

    燃料不要、「風」という天然の動力だけで動き、

    その速度は自転車程度。世界中どこへでも行くこともできます。

    きっと人間本来の生活テンポに合っているのでしょう、

    風だけの力でセーリングし始めると

    固くなった心がどんどん溶けていくのがわかります。

    欧米では古くからこのヨットを楽しんできました。

    もちろん、近代的乗り物が出現している現在でも盛んです。

    親子何代にもわたり、ヨットを継承していたり

    お年寄り夫婦でのんびり世界を巡っているヨットも珍しくありません。

    最近、わが国でも始まりましたが、身体障害者の方々にも

    ヨットの素晴らしさを知っていただこうという

    活動「ヨットエイド」も活発におこなわれています。

    目の不自由な方々による「ブラインドセーリング」も盛んで、

    すでに世界大会も開催されており、日本からも参加しています。

    すべてのものに寛容な海。

    そこにいる人とヨットは私たちに美しいシーンを与えてくれます。

    世界中で撮り上げた、おいしい海を召し上がれ。

     

    ヨット・モーターボートの雑誌「KAZI」

    編集長 田久保雅己 

  6.  

   不定期更新気の向くまま月に一度は新しい記事あり?

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  大川溯上 天神祭

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